元東レアローズ女子バレーボール部 大山加奈 退社に関するお知らせ

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2014.05.29

東レアローズ女子バレーボール部

 元東レアローズ女子バレーボール部の大山加奈は、5月末(予定)を持ちまして、東レ株式会社(以下「東レ」)を退社することとなりましたのでご報告いた します。ファンの皆様には長きにわたり、現役選手として、また引退後のバレーボールの発展・普及に向けた活動に対して、心温まる激励とご支援をいただき心 より感謝申し上げます。
 大山加奈は、恵まれた体格と日本人離れしたパワーの持ち主で、小学生時代から注目されてきました。特に成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)時代には、「パワフル カナ」として、日本バレーボール界の人気を高めた選手であり、ファンの皆様からも広く親しまれてきました。
 東レには2003年4月に入社し、東レアローズ女子バレーボール部の一員として、同年の第10回Vリーグ大会での「準優勝」に貢献するとともに、個人と しても「新人賞」を受賞するなど、チームの主力として活躍してきました。また、2004年にはアテネオリンピックにも出場し、全日本チームの5位入賞に貢 献するなど、日本を代表するプレーヤーとして大きな功績を残しました。
 2010年6月の現役引退後は、“バレーボール界への恩返し”がしたいという強い思いにより、東レに在籍したまま、全国でのバレーボール教室開催や社内 外での講演会、テレビ解説、アスリートとの共催活動など、バレーボールの普及・発展に精力的に取り組んでまいりました。
 東レとしても、大山加奈のこうした活動を全面的に支援してまいりましたが、このたび、さらなる成長と飛躍を目指して、より幅広いフィールドで活動したいとの本人の希望を受け止め、5月末(予定)で東レを退社する運びとなりました。
 今後は、専門的なマネジメント会社である「株式会社ARS」(本社:東京都千代田区紀尾井町)に所属し、引き続きバレーボールの普及・発展に携わっていく予定です。これからも末永く大山加奈の新たな歩みを見守っていただきたく、ご報告かたがたお願い申し上げます。


【大山加奈からのコメント】

この度、11年間在籍いたしました東レを退社することになりました。 選手としての7年間、引退をしてからの4年間、山あり谷ありでしたが、たくさんのことを経験させていただき、東レで過ごした時間は私にとって大きな財産になっています。

大好きな東レを離れることはとても寂しいですが、活動の幅を広げ、さらにバレー界や社会に貢献していきたいという思いからこの度の決断に至りました。

長年にわたり、東レの大山加奈を応援して下さったファンの皆様、東レ社員の皆様、本当にありがとうございました。 元気に活躍している時も、怪我で試合に出られない時も、さらに現役を引退した後も、温かく見守ってくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。 皆様への恩返しはまだまだこれからだと思っています。 所属は変わりますが、皆様への想いは変わりません。 感謝の気持ちを忘れず、バレーボールのみならずスポーツの発展、普及に尽力してまいります。

さらに、6年後には東京オリンピック・パラリンピックというバレー界にとっても 日本のスポーツ界にとっても、とても大きなイベントが控えています。 微力ではありますが、日本のスポーツ界発展のために、自分にできることがあれば進んで貢献していきたいと思います。

東レという会社に入社し、東レアローズでプレーできたことを幸せに思います。

これからも温かく、時に厳しく見守っていただけたら幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

大山加奈

大山加奈

大山 加奈(おおやま かな) プロフィール
1984年6月19日生まれ。東京都出身。
小学校2年生からバレーボールを始め、全日本バレーボール小学生大会で全国制覇を成し遂げたことによって、“バレー界の金の卵"と注目される存在になった。
成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では、主将として春高、インターハイ、国体の3冠を達成し、小中高全ての年代で全国制覇を経験した。
2001年に全日本代表に初選出され、翌2002年5月の日米対抗でデビュー。世界選手権と釜山アジア大会では、ただ一人の高校生プレーヤーとして出場を果たした。
2003年4年、東レアローズ女子バレーボール部に入部(東レ入社)。同年開催のワールドカップでは栗原 恵とともに『メグカナ』と呼ばれ、「19才コンビ」として注目を浴びた。また、同年の第10回Vリーグでは新人賞を獲得、翌2004年にはアテネオリン ピックに出場するなど、日本を代表するプレーヤーとして活躍した。
2010年6月、現役引退。東レ一般社員となった後、日本バレーボールリーグ機構に出向。翌2011年に東レに復帰。日本バレーボール協会の国内事業本部 委員を務めるなど、現在までバレーボールの普及・発展に向けて幅広く活動している。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致活動や東日本大震災の 復興支援活動にも精力的に取り組んでいる。

<主な球歴>
アテネオリンピック(2004年)
世界選手権(2002年)
ワールドカップ(2007年、2003年)
グランドチャンピオン(2005年)
ワールドグランプリ(2006年、2004年、2003年)
アジア大会(2002年)
アジア選手権(2003年)
第10回 Vリーグ 新人賞(2003年)
 

以上