写真で見る東レ滋賀ボート部60年史

1960年~1969年 (昭和35年-44年)
全日本制覇、王者の地位を確立

 1960年代初頭は、食糧事情も充分でなく、練習の疲れを癒すこともままならない厳しい環境下で、各部員が全日本制覇を夢見て耐え抜いた。
 「全日本の優勝カップは箱根峠を越えることはない」と言われたほど日本ボート界勢力は関東一辺倒だったが、それを打ち破るため、静かな闘志を秘めて全日本制覇を狙った。
 1963年、東大卒の澤崎望氏が瀬田工場に入社。コーチ就任後、哲学専攻の独特な個性で選手を引き付け、貪欲かつ絶対に負けないクルーを育成。全日本フォアの初制覇他、国内主要大会での連勝記録を塗り替え、数々の連覇を達成。「国内絶対王者の東レ滋賀」へとのぼり詰めた。
 「艇友会」の理念に沿って、堂々と脈々と培われてきた「東レ滋賀」の力が開花した時代である。

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1963

第4回 朝日レガッタ フィックス 2種目制覇
(滋賀県 尾花川)

風と雨で荒れ模様の琵琶湖尾花川コースで、5月11日、12日の両日に渡って朝日レガッタが開催された。ナックルフォア、シェルフォアの両部門に出場の「東レ艇」は、他を寄せ付けず、念願の2種目制覇を成し遂げた。
シェルフォア
C:吉良進 S:青野勝行 3:富本英明(現姓:児玉) 2:古川宗寿 B:武良致
ナックルフォア
C:八田和生 S:小川定雄 3:原田尚典 2:福岡俊治 B:勝又武

1967

新艇「淡海」進水式
(滋賀県 琵琶湖)

かねてからの念願であったシェルフォア新艇が完成し、4月7日瀬田川畔の艇庫前で、おごそかに進水式を行った。新艇は谷村取締役(滋賀事業場文化体育会会長)から「淡海(おうみ)」と命名され、さっそく気鋭のボート部員によって瀬田川にその雄姿をすべらせた。


当時の社内報「東レ時報」より

 

新艇「淡海」による練習風景
(滋賀県 琵琶湖)

当時としてはお洒落なイタリアンスタイルの新艇「淡海(おうみ)」。唐橋通過直後のスナップである。鋭いキャッチの瞬間を捉えている。
C:吉良進 S:安達温二 3:西岡輝穂 2:古川宗寿 B:松本広文(現姓:稲村)

 

第45回 全日本選手権大会 舵手付きフォア 初優勝
(埼玉県 戸田)

決勝レース前の余裕のスナップ。新艇「淡海」も光り輝いている。この初優勝以降、7年連続でその強さをボート界に見せ付けることになる。
C:吉良進 S:安達温二 3:西岡輝穂 2:古川宗寿 B:松本広文(現姓:稲村)

1968

フォア種目 (朝日・実業団・全日本・国体) 年間完全優勝

この年は、朝日レガッタ、全日本社会人・実業団選手権大会、全日本選手権大会、国民体育大会の国内のフォア種目において、完全優勝を成し遂げた。
C:佐野順二 S:安達温二 3:西岡輝穂 2:古川宗寿 B:松本広文(現姓:稲村)


当時の社内報「東レ時報」より