トップアスリートにとってウェアは、己の肉体にもっとも近い “ギア”。当然、求める理想は高く、そこに妥協の2文字はない。短距離走の世界で頂点を狙うサニブラウン選手も同じだ。「機能性はもちろん、究極を言えば着ていることさえ忘れてしまう、そんなウェアが理想」と語る。素材開発のグローバルカンパニーとして、伴走するパートナーとして、彼の理想を形にしたい。東レとサニブラウン選手によるウェアの共同開発プロジェクトが始まった。
「東レ × サニブラウン共同開発プロジェクト」
0.1秒を争う世界でウェアが果たす役割とは。
パフォーマンスを最大限に引き出せるウェアを
2017年から練習拠点をフロリダに置いているサニブラウン選手。年間を通じて温暖で過ごしやすい気候をイメージするフロリダだが、気温30度前後の蒸し暑い夏が約半年間続く。そんな環境下で行われる練習は週に6回。スタートダッシュからウエイトプログラムまで、まもなく迎える大一番に向けたトレーニングが佳境を迎えていたこの4月。共同開発プロジェクトのウェアが完成。彼の元に届けるべく、フロリダへと向かった。
――今回のウェア開発のきっかけを教えてください。
「東レさんとパートナーシップ契約を結んだ当初から、ウェア開発は絶対にやりたいと思っていたことでした。それが本格的にプロジェクトを始動させようという話になったのは、昨年の夏の終わり頃でしょうか。キックオフミーティングに向けて準備を進める中で、たまたま僕が滋賀工場を訪れる機会がありまして。工場では素材開発の現場見学で訪れたのですが、その時にはもう僕の言葉をヒントに複数のサンプルが用意されていたんです。完全なサプライズでしたが、そのスピード感を含め、皆さんの想いが嬉しかったですね。実際にファーストサンプルを触ってみたら、フィーリングがとても良くて。僕が向上させたい機能についても細かくヒアリングしてくれました。すると、開発の方々が『もっといい素材がある』と力強く言ってくださって。元々ウェアはプーマさんがサポートしてくれていましたが、そこに東レさんも加わり、素材の面からバックアップしてくれることになったんです」
――ウェアに求めるクオリティを教えてください。
「フロリダは暑いだけでなく、日本のように湿度も高いので、汗をすごくかく。どれだけ練習に集中していても、汗をかけば不快感は高まります。限られた時間の中で、何度も着替えるわけにもいかないですし。だから吸水速乾性は、最優先で求める機能ですね。次に求めるのは紫外線対策でしょうか。炎天下の中、日差しを遮るものがないフィールド上で2時間、3時間と練習するので、肌への負担が大きいのも悩み。ウェア自体にUV加工が施されているとありがたいです。他には軽さ、肌触り、汗染みが目立たないなど、求めればキリがないかもしれません。でも、陸上競技者にとってウェアは、唯一の“身に纏えるギア”。理想は高いですが、東レさんがパートナーだからこそ、心強いです」
――共同開発プロジェクトのウェア、完成度はいかがですか?
「今回、一番期待していたのは、これまで以上の吸水速乾性でした。というのも、滋賀の工場を訪れた際、生地サンプルに水を落とす実験を見せてもらい、素材の持つ力を目の当たりにしたからです。完成品はその期待を裏切ることなく、スッと乾くから軽い着心地のままだし、サラサラの肌触りをずっとキープしてくれて快適そのもの。機能性と着心地、両方を兼ね備えたウェアができたことが、すごく嬉しいです。ラインナップもレースウェアから練習用Tシャツ、ショーツに加えてロングタイツやロングパンツまで作ってくれてありがたい。フロリダはこれからが夏本番。毎日着て、機能をより実感するのが楽しみですね」
――ウェアと日々のコンディションの関係性を教えてください。
「よくスタート時に何を考えていますか?と聞かれるのですが、考えているようではダメだと思っていて。何も考えない状態で、号砲がなったら体が即座に反応して勝手に走るだけ。そうなっているのが理想です。でも、そこに到達するには自分にとって一番心地いい状態、余裕のある状態でいることが大切なんです。大袈裟ではなく、ウェアが自分の体の一部として、当たり前の状態になっていないと。
もし、フィットしないものを身につけていたら、競技以前の部分で気が散ってしまいますからね。1秒を争う世界で全身全霊を競技に集中するためには、そういった小さな部分もしっかりクリアしなければならない。その点、今回のウェアは非常に着心地がいいので、最大限のパフォーマンスを引き出してくれるのではないかな、と感じています」
――直近の目標、さらにその先の目標を教えてください。
「今年はオリンピックイヤーです。前回のオリンピックでは結果を出せず、自分でも不甲斐なく、悔しい思いをずっと持ち続けてきました。そのぶん今年はしっかり挽回したい、というのが直近の目標ですね。決勝に残るのはもちろん、オリンピックに出てメダルを取る、というのは本当に高い壁ですが、その壁をぶっ壊して頂点に立ちたい。メダルを取って、応援している方々へ恩返しがしたいです。そして、笑顔で終わりたいですね。また、来年は東京で世界陸上が開催されます。自国開催でいい走りをして結果を出せたら、たくさんの人が喜んでくれると思うので、そこでも頑張りたいと思っています」
素材のスペシャリストの意地とプライドに賭けて
サニブラウン選手からのリクエストをどう形にしていくか。今回のウェア共同開発プロジェクトのキーマン3人にも話を聞いた。開発の指揮を執ったのは、大塚 潤スポーツ・衣料資材事業部部長。入社以来約30年、一貫してテキスタイルの開発・販売を担当し、ユニクロのウルトラライトダウンの開発にも携わった大ベテランだ。そんな彼が現場の担当者に指名したのは2人。1人目は東レを代表する吸水速乾機能製品『FIELDSENSOR®秒乾®』や非常に高い保温性と軽量性をもつ『KARUISHI®(カルイシ)』の開発者である森 雅昭。そして2人目はファッションアパレルの分野で長く縫製の分野を担当してきた松岡 秀明だ。繊細さが求められるアスリートウェアの開発者としては、これ以上ない適役が揃ったわけだが、実は大塚も含め、トップアスリートとの共同開発は初めての試みだったという。
――ウェア開発の準備はどのように?
「素材の絞り込み、糸の編み方、仕上げ。この三工程の中にも、それぞれにバリエーションがあり、ウェア開発ではまず何を選んで何を試すか、絞り込む作業が重要になります。ただし、吸水速乾性とひと言で言っても、何百、何千とありますし、他の機能を掛け合わせることで、吸水速乾の性能自体が落ちてしまう可能性もある。そこでまずは、我々の経験値から『FIELDSENSOR®秒乾®』や『BODYSHELL® EX』など、ある程度素材に当たりをつけ、ファーストサンプルを複数製作しました。
その後、実際にサニブラウン選手に触ってもらい、フィードバックを受けたことで、本格的な共同開発がスタート。より強い要望があった吸水速乾性とUVカットを最優先に開発を進めることになりました」(東レ スポーツ・衣料資材事業部兼テキスタイル貿易事業部 森 雅昭)
――最も試行錯誤した点は?
「身体へのストレスを可能な限り軽減すべく、細部のディテールを徹底的に見直した点でしょうか。たとえば、生地の折り返しや合わせは縫製ではなく圧着となる仕様に対して、生地にフィットする圧着シートを選定したり、ポケットを止める部分を閂止め(かんどめ)ではなく返し針のステッチに変更したり。どのアイテムも採用された生地は高密度で非常にデリケートなので、そもそも縫製の難易度は非常に高いんです。
でも、その様なハイスペックな素材をパタンナーや生産担当と一緒になって、サニブラウン選手の走りに生かせるウェアをしっかり届けたいという想いで取り組みました。最終サンプルに至るまで何度も試作を重ねましたが、苦労したというよりも”必ずやり遂げる”という想いの方が強かったように思います」
(東レインターナショナル アパレル製品第2部 海外事業課 課長代理 松岡 秀明)
――今回のウェア共同開発プロジェクトは、東レにとってはどんな意味が?
「滋賀工場でサニブラウン選手にお会いした際、まず驚いたのは、その細やかな視点でした。吸水速乾性はもちろん、肌に当たる感覚や通気性、UVカット機能、汗染み防止など、世界で戦うトップアスリートは、ウェア一枚にもここまでこだわるのか、と。スポーツ衣料の素材開発を長年手がけてきましたが、直接選手からフィードバックをいただく機会は少なく、非常に大きな刺激になりましたね。また、ひとつひとつの素材の説明にも、熱心に耳を傾けてくださり、技術者1人1人にもお声かけいただいて。トップアスリートながら、その謙虚で真摯な人間性に胸を打たれました。開発に携わった全員が、選手を応援したいという気持ちになったのは言うまでもありません。この先の彼の勝利に、東レの技術が少しでも貢献できたら、これ以上に嬉しいことはないと思います」(東レ スポーツ・衣料資材事業部 部長 大塚 潤)
トップアスリートのパフォーマンスを最大限に引き出すウェアとはどういうものか。今回のウェア共同開発プロジェクトを通じ、サニブラウン選手からもたらされた「当たり前のように体の一部になって、着ていることさえ忘れてしまうウェア」は、その一つの解として、今後の素材開発の大きなヒントになるに違いない。一方のサニブラウン選手にとっても、「既製品とオーダーメイドで、ここまでフィーリングが変わるとは。ますます夢が広がりました」と手応えを感じたようだ。
ウェア共同開発プロジェクトを通し、“想いに応えたい”と言う気持ちの部分でも共鳴した今回。両者のグローバルパートナーシップ契約がより深い絆で結ばれたことで、今後の展開がますます面白くなりそうだ。
ハキーム選手コラボアイテム
『FIELDSENSOR®秒乾®』
高度な“汗処理性能”を持つ吸水速乾素材。肌面のブリッジ構造によって、水分の移動がスムーズになり、常にサラサラしたドライタッチの肌感をキープ。
『BODYSHELL® EX』
繊維強度は保ったまま、高レベルの防透性を実現。熱、紫外線、透けから身体を守る。また、遮熱とUVカットによる体力消耗が抑えられる。
『Primeflex®』
熱を加えることで原糸がスプリング構造になり、ストレッチ性を発現。繊細なストレッチとストレッチバックで動きをスムーズにサポート。
『LYCRA®』
ゴムのような強さと柔軟性を持ち合わせた特性を持つ。引っ張られてもすぐ元の形状に戻るため、激しい動きにも柔軟に対応できる。
東レ スポーツファブリックス
https://www.sportstextiles.toray/