写真で見る東レ滋賀ボート部60年史
1949年~1959年 (昭和24年-34年)
創部、そしてボート部の基盤確立
1949年、滋賀工場に端艇部誕生!
当時は終戦のショックが抜けきらず混乱時代であったため、スポーツ奨励による従業員の体位向上、士気の高揚を目的として、滋賀工場の源である"琵琶湖=水"に関係あるスポーツ"端艇部(ボート部)"がつくられた。
最初に建造されたフィックス艇は3艇。社名「東洋レーヨン」にちなみ、東=あずま、洋=ひろし、麗(レーヨンのレイを漢字表記)=うららと名付けられ、この艇で朝日レガッタを制覇。全日本社会人・実業団選手権の覇者となった。
1957年にはフィックス艇からシェル艇へ進出。常により高い目標に挑戦し、弛まぬ努力を積み、快進撃を続け、確固たる活動基盤を築きあげた年代である。
1949 | 端艇部(ボート部)創部 |
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1951 |
第4回 朝日レガッタ フィックス 初優勝
創部以来初めての優勝。決勝での「京都大丸」との競り合いの末、1尺の差で破った。端艇部を創設していただいた木股工場長はじめ、服部製造部長、後藤事務部長から喜びの声が届き、工場内での端艇部の知名度が上がった。 |
1955 |
第5回 全日本社会人・実業団選手権大会 フィックス 初優勝
過去4回瀬田川で「播磨造船」に負け続けた悔しさを覆そうと挑んだ大会。決勝では「播磨造船」の執拗な追撃を必死のラストスパートで振り切りゴール。初めて優勝杯を手にし、東レ体育会での地位が認められた。 |
1959 |
第12回 朝日レガッタ 舵手付きフォア 初優勝
準決勝までは予定通り勝ち進み、決勝では宿敵「大阪大丸」の激しい追い込みをかわし、2分の1艇身差での初優勝。1957年に進水した「麗湖」を、3年目にしてようやく優勝させることができた。 |
第14回 国民体育大会 ナックルフォア 初優勝
ライバルたちの追い上げをラストスパートで一蹴。練習の密度を上げ効率アップした結果、国体出場10回目にして宿願の初優勝。「フィックス」から「スライディング」に転向後、初めて実業団の頂点に立つことができた。 |
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第9回 全日本社会人・実業団選手権大会
エイト 初優勝
スタートからハイピッチで、2位の「東京トヨペット」を3分の1艇身引き離し、前年に続き2連勝を達成。滋賀大学のご厚意で新艇をお借りしてレースに出場できたことに感謝し、いつの日か自艇でのレースができることを願っていた。 |